2010年1月15日金曜日

こんなことになるとは

前回インドに行ったとき、空港に向かう電車を待っているとき、チケットの手配をしたHISから電話があった。
デリーですから、今回の地震の津波の影響はありませんからご安心下さいというものだった。
それは、スマトラ沖で起こった地震の津波によって、様々な国に被害が及んだあの事故の事だ。
2004年。それからもう6年もたったのだ。
今回南インドの両サイドに行ってきたので、東海岸側では、その被害の痕跡があるかもしれないなとは思っていた。
チェンナイで大変有名なサン・トメ聖堂にいって、海岸線に出ようと思ったときのこと・・・
そこにはこんな碑が建っていた。

2004津波と書いてある。やはりここでも被害があったのだろう。それでも、「gratitude」ということだから、ここでは、特異的に被害がなかったということになりそうだ。
この聖堂は海岸から200m程度しか離れていない。
真っ白で綺麗な教会。

中のステンドグラスも大変綺麗だった。敬虔なキリスト教徒の方達が、お祈りをしていた。
キリストの12使徒だったセント・トーマスが チェンナイへ布教に来て亡くなり、その後そのお墓の上に 建てられたものだ。
あまりにも真剣にお祈りをしているので、少し気が引け、また視線も気になり、早々に退散したが、その遺骨の一部も見られるらしい。
あの大津波の被害がここになかったのだとしたら、何かの力なのかもしれない。
先日ハイチでとてつもない規模の地震が起こった。
報道されているようにその被害はそれこそ「未曾有」のものになりそう。
遠く離れていて、臭いも空気感もない映像だけをみても、その悲惨さはごく一部しか感じられない。
何かできることはないのか?国という概念を超えて、こう言うときにこそ手をさしのべられないのだろうか。
インドの南海岸では、きっと津波以前と同じように、人々が遊び、漁に出ていた。
ハイチでもはやくそのような状況に戻ればいいのだが、それこそ映像などだけから判断すると、その道のりは今まで以上に厳しい気がした。

海岸から教会は、こんな風に見えた。夕陽が日本よりもずっとずっと赤い。
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この中に50人くらいのMy Friend

ムンバイのGate of Indiaです。
夜遅くまで、人が溜まっています。そして、観光名所のエレファンタ島行きのフェリーが発着している場所です。向かいは豪華ホテルのタージマハルホテル。
もの凄い数の人が出ています。1000人とか余裕でいる感じです。
そこを歩くと、当然社交的なインド人に取り囲まれます。
すごいな〜と思ったのは、写真を撮って鞄からプリンタを出して印刷するサービスが全盛なこと。
結構な人がそれをオーダーしてました。
笑ったのは真っ暗な10時過ぎに行ったときにも(こういう時間に出歩いてはいけません、危険です)、「Photo」とか行ってましたが、ちっちゃいデジカメの光じゃGate of India写らないでしょって言いたかったです。

さて、この「インド門」で話しかけてくるインドの人の多くは物売り。
巨大風船や竹トンボ風のおもちゃを売っていました。
そしてちょっと仲良くなるとすぐに「My Friend」です(笑)
一番仲良くなったMy Friendは、安い宿も紹介してくれました。
初日、目星をつけていたホテルがFullで泊まれなかったんだから、その時来てくれたらきっと本当にMy Friendになれたはずなんですがね・・・
My Friendは、自分に100ルピーであるおもちゃを売りつけて結構喜んでいたみたいです。
自分らは、現地の人に紹介してもらった、現地の人が行くレストランに行くことにしました。
すると、My Friendは、そこの屋台コーナーに夕食を買いに来ていました。
必死に生きている様子を見ていると、なんだか切なくなりました。彼もそんな感じ・・・ばつが悪そうにしていました。
この地を10日ほど離れ、最終日にまた泊まったのですが、その時はなぜか本当にMyFriendは元気だろうかと、夜にふらつきに行ってしまいました。
残念ながらもういませんでした。
本当に悪い人ではないだろうから、また来るよって言ってから戻りたかったなと、ほんのちょっとだけ本当に思いました。
ひょっとしたら彼が紹介するホテルはひどかったのかもしれないのですが・・・
元気かな〜。

これがタージマハルホテル。
2008年のムンバイ同時多発テロで一部爆破されました。
ネットがかかっている場所はその修繕カ所と思われます。
もの凄いセキュリティーです。自分らはこの裏のホテルに結局3泊しました。
なかなか快適なホテルでしたが、エレベーターのドアが手動でちょっとビックリ。
そして自分たちが重いせいもあり、キッチリあがりきらないのです。
20cm位低いところに止まってたのが印象的です(笑)
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自由なイヌたち

インドの街中にはやはり今回もウシが自由に歩いていました。
ムンバイはそうでもありませんでしたが、他の小さな街は本当に自由に歩き回り、その辺のものを食べ、そして勝手に出す。そんな生活をしているのです。
郊外にあるスラム街周辺を見ると、なんだか諸悪の根源はプラスチックなのではないかと思ってきます。簡単に分解されることのないプラスチックゴミがどんどん溜まっているのです。今まできっとウシ達が食べて綺麗にしてくれていたであろう天然の梱包材・・・たとえば木の葉など・・・だったらここまでひどいことにはなっていないのではないだろうかと思わされます。
ウシと同じくらい、いや、それよりももっと自由に生活しているのは圧倒的な数存在しているイヌたちです。どこか自信なさげで、おどおどしているイヌたちは、人間が横を通ったところで別に起きるでもなく、とにかく勝手気ままに生活しています。
日向を避けるように寝ていたり、そうかと思えば日向を選んで寝ていたり、その辺のゴミをほじくってみたり、人間のあとをついて歩いてみたり、排泄してみたり。とにかく自由なのです。
ただ今回驚いたのは、どこかのバスターミナルで子犬を育てている最中のイヌの強烈さです。
可愛い子犬が出てきたので、ちょっと接近すると、猛烈な勢いで母イヌがこっちに吠えかかってきました。こちらは「狂犬病は怖いよな」という意識を常に持っていましたから、ビックリ仰天。とてつもない形相でこちらに向かってきたのですから・・・。
でも、それを見ていたインドの人たちは、爆笑。きっと接近してよいラインがあるのでしょうね。警戒域が。
まあ、それにしても、ここ以外のイヌは本当にいたって自由でした。
こんな感じです・・・

これはムンバイからフェリーでいったエレファンタ島の、港に横たわる自由な4頭。
帰りには別な場所に移動していました。朝早かったので、温かい日向に横になっていました。
まるで岩盤浴のような状態です。
さて、ここの港、もの凄く汚いです。
でも、「汚い」の概念は生物によってそれぞれらしく、人間にとっては居心地が悪い気がしますが、餌も豊富で・・・ということになりそうです。
こうやって、船にはカワセミがとまっています。
小さな魚たちが確かに見えていましたから、餌に困ることがないのでしょう。
サギやチドリ、シギの仲間もたくさんいました。

そして、その水面下では大量の蜷(ニナ)類が・・・

彼らが移動したあとが、もの凄く複雑に絡み合って線のようになって見えます。
この線を辿れば、一匹いるんですね。
連中の食欲を十分満たす程の有機物があると言うことでしょう。
でも、ここでもやはりプラスチックはただのゴミです。
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2010年1月14日木曜日

カルダモン

2週間、南インドに行ってきました。
地球の歩き方というバックパッカー必携の本にも出ていないような場所をさまよい歩くという、測らずにも面白い展開には成ってしまいましたが、あのインドの人たちのエネルギッシュさを目の当たりにして、少し頑張らなきゃなという気持ちにもさせられました。
こちらは、かなりの長期間、お休みをしておりましたが、あまり気張らずに、少し書けるときに書ければよいのかなとも思っています。
この間、本当に殺人的量の仕事があったりで、そことのバランスでこちらの更新ができなかったというのが大きな理由の一つです。逃避でこちらを書くということは十分できたのですが(笑)
さて、インドといえばカレー。
必ず聞かれるのは「インドってやっぱりカレーなの?」って、もちろんそうです。
朝からカレー、昼もカレー、夜だっておやつだってカレー。日本人がイメージするカレーではないかもしれませんが、風味は徹底してカレー。あのスパイス群がとにかく、日本の醤油や味噌なんです。だからちょっと隠し味でもカレーです。とにかくカレーなのです。
今回は、最後の何日か目に日本食の店で天丼を食べるまでお腹の調子も完璧でした。
それだけが悔やまれます。高い、まずい、調子悪いじゃ意味がありません。
やっぱり現地では現地の食事ですね。それも現地の方法で。
今回はもうすっかり手で食べるのにもなれました。
今回、大きな収穫の一つは、この写真を撮ることができたことです。
ずっと撮影したかったのですが、ついに実物を撮影できました。
カレーのスパイスの一つ、カルダモンの花です。
すごく高価なスパイスですが理由がわかりました。
大きな草の下に、小さな花を咲かせるのです。きっと収穫は大変な苦労でしょう。
生でもたべましたが、その風味は最高でした。

このカルダモンの葉がまた特徴的で、双子葉と単子葉を合わせたような模様でした。

ほっ・・・やり方覚えていてよかったです(笑)
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2009年9月15日火曜日

誰が食べようと思ったのか・・・

と、これを食べられるまでに加工する過程ではいつもそう思います。

春に前任校の保護者であるN/Sさんにいただいたコンニャクです。
本当に色々とお世話になったのに、すっかり失礼しています。この場を借りて感謝申し上げます。
これは貴重なコンニャクイモから出た立派な葉です。
しかしこのコンニャク。実に不気味な模様がついて、なんだか触るのもためらうような様子です。

この肌の様子、何ともいえず不気味なのです。
ちょっとアングルが悪かったですが、花を咲かせたあとすっかり消滅してしまったように思っていたのですがこんな立派に葉を広げています。これこの後どのような展開になっていくのでしょうか。今は1m程もあるでしょうか。実に不気味な雰囲気を漂わせているのです。

今年も順調に大きくなっているのであれば、来年もまた育てることができるのでしょうか?
何とも不気味ですが、うまく育てたいなと思います。
朝晩の冷え込みが気になるところではありますが・・・
このコンニャクはサトイモ科。
きっとこちらも同じ仲間なのですよね・・・

校舎内にいけられている花です。地域のボランティアの方がこのように美しい花を生けに来てくださっています。
なんだかホッとさせられます。
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2009年9月14日月曜日

稲妻を撮る

なかなかタイミングは合わないものですが、せっかく雷が鳴り始めたので窓から撮れないかと20分ほど粘りました。まあ、20分は粘ったとは言わないんだよと言われてしまいそうですが、自分にとってはこのくらいが集中の限界です(笑)
光ってからシャッターを押してももちろん解決にはなりません。
だからといって闇雲に押すのもな〜と思い、2秒に一度くらい押すというように決めて、手持ちでひたすら押していたらやっと一枚写ったのです。

その後は雷の位置も移動してしまったようで、残念ながらまともには写っていませんでした。

これなんかうまくいったら最高だったかもしれません。
人目を気にせず、外に出れば良かったのかもしれませんね・・・北海道ではなかなかこのように雷を見ることがありませんからちょっともったいないことをしたなと思います。
で、今日は明日の試験問題を作っていたのでずっと家にいました。
途中ちょろちょろと買い物などにはいったのですが、疲れが溜まっていてウトウトしたりでなんだかもったいない一日でした。
夕方気がついたらこんな空でした。

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2009年9月12日土曜日

帰りの飛行機から見た衝撃的シーン

我々が暢気に(本人達はもちろんいたって本気で集中していたのですが、一般的には暢気だと思われているはずという自省)パース周辺をまわった後、行きと同じCatheyにのって日本に戻りました。
帰りは深夜発の便で、荷物が重量オーバーで大変苦労しました。
ゼロハリのトランク自体がすでに重いので、かなり不利です(笑)
今回も本が原因だったように思います。
出国時にも人相の関係か醸し出す雰囲気の関係か、ドラッグの検査までされる始末でしたが、まあ、当然ひっかかるはずもなく無事に出国完了です。
パースー香港間は電源も使えたのでちょいと機内で仕事もしてきました。
途中香港で2時間ほどありましたが、もう香港ドルもどこに行ったかわからない状況でしたので、なにもせず終了。
隣に来た中国系の高校生か大学生くらいの雰囲気の女性が、ずっと前のシートに頭を付けたまま爆睡していてトイレにも行けず、結構がっかりな(この行程の全路線、隣人には全く恵まれず、もの凄い勢いで座る人とか・・・)感じでした。
マルチディスプレーで航路を見ながら進みましたが、台湾上空。ふと機外を見ると雲の切れ目から見えたのがこんなシーンです。

台湾にはまだ自然な流れの川がこんな街中にまで残されているのか・・・などと暢気に構えていたのですがどうやらそれは大きな勘違い。
他の写真ですが、原寸のものを載せておきますので是非クリックしてご覧下さい。

帰国後に見たニュースで驚いたのですが、台風8号の爪痕のような感じです。
直撃されたのが8月7日。13日に撮影したものです。
多くのかたが亡くなっていたのですね。ご冥福をお祈りいたします。
機外の風景をよく見ているのですが、これは随分ショッキングな映像でした。
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今日はもう終わってしまいますね・・・

キッティンジャー大尉、人間の最高落下速度を記録(1960年8月16日)

米空軍のジョゼフ・キッティンジャー大尉が気球による最高高度31300mからパラシュート降下し、乗物によらない人間の最高速度988km/hを記録。 アメリカ空軍のパイロット、ジョゼフ・キッティンジャー大尉はガス気球を利用して単独大西洋温暖飛行に成功するなど、様々な功績を持っている。...