2011年1月12日水曜日

途中の生物やカースト問題

チョータラを超え、いろいろと見えてくるものがありました。
まず代表的なのが生物たち。
自分はもっともっと多くの種類の生物たちを見ることができると勝手に妄想していたのですが、そんなことがなかったのが大変残念です。
これは雨季にこなければいけないのだそうで、「フンコロガシをみたいんですが」という質問には「どうぞ雨季に来てください、いくらでもいますよ」ということで、その気になってしまうのです。
それでも、例えばくたびれた感じの蝶が道に止まっていたし

保護色全開のカマキリもいましたし

セイボウの仲間であろうと思われる蜂もいました。

花だってナス科?というような物も見られました。

それでも、とにかく降りることに必死な皆さんからどんどん離れて行くばかりなので、それなりに急がなければいけません。じっくり腰を据えて撮影できなかったのはちょっと残念です。
こんなことをしているうちに、前を行く人達とはこの位離れてしまっています。

かなり先に行っているのがわかるでしょうか?
そして面白いのはこの道路です。
車道がついているのはわかりますよね?
日本では貴重な片麻岩などの石をトレッドに合わせて敷き詰めてあります。
今の時期は大きな問題はないのでしょうが、雨季になると間違いなくこれがないと進めないのでしょう。

天然の舗装道路ということになりそうです。
車が入らないショートカット用の道、つまりもともと人間がつかっていた道はこんな路面です。

雨季になって、ここを猛烈な量の水が流れているのを考えると、日本人のバランス感覚ではきっと何度もこけることになるのだろうなということは、容易に予測できます。
フンコロガシを見たいという気持ちとのバランスをどう考えるかというのは難しい所です。

村にいる間はいつも青空でしたが、雲が出てきました。まあ、この雲だって見事に綺麗に見えるのです。
なんとなく近いのです。普通に日本で生活しているよりはずっとずっと近いのです。
下山したら天気が悪くなるのかもしれないなという気もします。
さて、家の様子が見えました。
ここではずいぶん古いミシンの修理をしていました。

これも日本じゃ見ない風景でしょう。すぐ買い替えなはず。
ミシンを使うような仕事の人達のカーストは低いのだそうです。
食肉業や鍛冶屋さん、そしてこのような縫製業の人達のカーストが低いというのはどの様なことでしょう。
実に生活密着型であるというのと、カーストの身分の関係を普通に考えるとわかりません。結局、カーストの高低というのは、上位カーストの人の勝手な論理でしょうから、馬鹿馬鹿しいことこの上ない話です。
それにしても、このミシンを直している人達の笑顔は底抜けに明るかったです。
昨日の夕方見せていただいた識字教室の村も低カーストの人達でしたが、本当に明るいのです。
生きる力を感じます。
しかし、このミシン。ここまで運ぶのも実に重たいだろうなと思いました。この辺が、低カーストのせいなのだろうとも思いました。

さて、眼下には川のようなものも見えてきました。
まだまだ下なのですが、他の音がないからなのでしょう、道路のクラクション、したに見えている学校からの声がすぐそこに聞こえるのです。
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さて、もうすぐ下におります。
ここからも衝撃シーンが。
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さよなら、トカルパ村

手芸教室の村からもう一度山を登り元のトカルパ村に戻ります。
いよいよ下山の時なのです。
この村からの眺めは格別でした。


一枚目の写真で、山と畑の雰囲気がわかるでしょうか。本当に広範囲に畑が広がっていますが、段々畑一枚の面積は大変狭いのです。それは急斜面に畑があるからなのである意味仕方のない事です。
ネパールの立地条件の特徴でしょう。
お世話になった手芸教室の会場になっていた家の遠景がこんな感じです。

自分達の後をヤギが追いかけてきていました。可愛いのです。でも、家の人達が必死にそれを追いかけていましたw
なぜか足取りは軽く、きっとこの高地に慣れてきたかなというかんじです。
登っている途中で、泊めていただいた家のお姉さんが隣村に帰る途中なのか、すれ違いました。

彼女とはわずか1時間ほどしか話もしておりませんでしたから、恥ずかしがって中々こちらに向かって手をふってくれませんでした。まあ、仕方のないことです。でも本当に利発そうな子でした。生物学の勉強をしているという事でした。一人で家を離れるというのは寂しい事なのでしょうが、頑張って欲しいなと思います。もし今度くる機会があったら、もう少しゆっくりはなしをしてみたいとおもいます。特にどんな環境でどんな装置をつかってどんな勉強をしているのかというあたりは気になりました。
上り詰め、今度は下山開始です。少し降りた所にトカルパ村があるのです。
荷物を預けておいた家にたどり着くと、おばさんが稗の脱穀をしている所でした。

効率が良い方法ではないのかもしれませんが、人のエネルギーしか使わないというのは、正しいような気もします。
今回、残念ながらこれを食べる事がなかったのですが、下山後にこれから作ったお酒を呑む機会がありました。これまたいろいろと考えさせられました。
荷物を受け取り、本格的に下山開始です。川まで降りなければいけないのです。
宿主になってくれた家のお父さんも見送りに来てくれていました。
学校隣の店のご主人は荷物を運ぶ係りとして下までおりてくださるのだそうです。申し訳ない気持ちでいっぱいです。まあ、もちろん自分は自分の荷物を持ちましたがね。
しばらくおりて振り返ると、村が見えてきます。こんな感じです。

車も通る道なので、植物などは土埃をかぶってしまい中々綺麗に写すことができませんでした。
あ〜ちょっと休みたいなというところに、チョータラが出てきます。水場もあってうまくできているなと実感させられました。

真っ暗な夜道を歩いた時、この場所を通ったのだそうです。全く記憶はありませんが。なんとか上がらなければと必死だったのだろうと思います。
ヤギの群れを小学校低学年くらいの子どもが世話しています。これだけのヤギを持っている家なのでそれなりの家なのだろうと思います。それでも働き手はこんな小さな子なのです。

そしてチョータラを使うべき人が上がってきました。
これ、すごいと思いませんか?
彼女休まないでグイグイと上がって行きました。凄すぎです。

肥料か燃料か飼料に使うのでしょうが、すごいエネルギーです。
日本だと絶対に車で運ぶはず。こういう所は見習うべきなのかどうなのか。
昔はこうだったのかもしれませんが、便利になったよねと片付けるべき問題でもないのでは?と考えさせられました。
日本だってネパールと同じように資源も何もない国なんだという自覚を持たなければいけないのかもしれませんね。
ネパールと違うのは食べ物すらない事です。
これ、前の日にお父さんと話をした時、話題になったのを思い出しました。
What can we do?ですね。食糧自給率40%ですよ。
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この旅行記まだ去年ですw

手芸教室へ

朝早くに出発し、手芸教室を見に行きました。
ここは女性の自立を目指して、3か月という期限を切って行われているものです。
支援しているのは「毛糸」だけ。
あとは村にいて編み物ができる方が教えているという感じ。
隣の村なのですが、一度登った山をグングン降りていくのです。
日が当たっていない路面は結露でやたらと滑ります。
凍った路面のようです。北海道人はこのあたりは得意。
それでも、地元の人たちがペらっぺらのビーサンであることを考えるとまさに驚異的です。
6,7月の雨期、ここがどんな状態なのか考えると恐ろしくなりました。
でも、乾期の今でもこのような植物の営みが見られてホッとしました。

これは車が走らない道沿いだからということになりそうです。
車が入るところはとにかく土埃がひどいのです。
植物どころではありません。
村に入るとこんな感じで段々畑の中に黒い点が見えています。

きいてみると堆肥だそうです。
これを漉き込んでいくのでしょうが、あまりにも土が枯れているかんじですからなかなか大変だろうなと思いました。
それはまた、後ほど間近で見ることになりましたが・・・
ここの家はなかなか裕福そうです。
ヤギも沢山いましたしニワトリも多かったです。家族も多かったのですが。
おじさんがヤギと遊んでいました。

雄ヤギは頭をつきあわせる習性があるので、これもまた実に面白かったです。
手でそのまねをすると本気で戦いを挑んできます。かなり遊んでもらいました。
このヤギ、せっかく作った葉っぱの皿を食べてしまうのです。
こちらの人たちはそれほど気にしていないようですが、せっかく作ったのを考えると、それを守らなきゃと思い随分ヤギと戦う羽目に。そんなのを見て、地元の人たちは笑ってるのですが。
そのお陰で、こんな幼虫を発見しました。
イラガの仲間だと思います。

もちろんさわりませんでした、痛いでしょうから。
隣の山から、手芸教室の参加者の人たちが到着しました。わざわざここまで来るのは大変だろうなと思いました。

それでもニコニコ、そして小さな子ども達も来ています。

まあ、屈託のない笑顔ですが、けり合ったりして喧嘩していてそれもまた面白かったです。
手芸教室での作品はこんな感じのもの。

なかなか凄いのですが、まだカトマンズなどで売り出すほどのものにはなっていないと言うことです。
毛糸をここまで運んできたり、作品をきれいに洗ってまた売る場所まで運んだりというのはかなり大変そうです。
でも、自立のために頑張って欲しいなと思いました。
最後に、全員に作品を一つづつくれました。
「お金は・・・」と思いましたが、また何らかの方法で支援をということになりました。
少しでも長く手芸教室を続けられればよいのでしょうね。
昼食はここの家で出してくださいました。
手芸教室の方を見て食べればいいのに、みんな逆を向いています。
運んでくれている人たちは面倒そうですが、そうせざる得ませんでした。
なぜならここからの景色がこれなのです。
ランタンヒマラヤ。
氷河が流れ落ちているのがわかりいます。
いつかこのランタン谷をトレッキングしたいなと思いました。

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2011年1月11日火曜日

What can we do?(民泊最後の夜)

実験講座、学校見学、識字教室見学も終了し、夜遅くに民泊先に戻りました。
またすぐご飯を食べなさいということで準備をしてくださいました。
隣の村の高校に勉強に行っているという長女ももどってきていて、家族全員が揃っている中で、ご飯を食べることになりました。
一段高い場所に座らされ、ご飯、野菜(カレー)レモンを塩茹した物、梅干しのような物などをいただき、最後にはまたバッファローミルク。
そして、疲れただろうからもう上に上がりなさいということになりましたが、自分達の寝室に全員が集合。
面白いなと思いました。
ベッドに座り、いろいろな話をしました。
印象的だったのは”What can we do?”というフレーズが何度も出てくることです。
例えば、「カトマンズでは定期的に停電していましたが、この村では停電がないのですね?」と聞くと、電力事情に着いて説明してくれます。
ネパールは個人的な発電機を除き、水力発電でまかなわれています。しかし、電化製品はどんどん入り込むにもかかわらず、発電所の建設が間に合わず大幅に電力不足に陥っていて、計画停電が実施されているということです。
発電所はおそらくつくおうとおもえばつくること可能なのでしょうが、お金などの関係で無理なのかもしれません。
What can we do?
そして、給料です。物価の関係はもちろんあるでしょうが、教員の給料は小学校教員で月1万円程度、高校で1.6万円程度。なかなか厳しい生活だということです。
国内の失業率が6割。そして残りの4割のうちの半分がハーフタイム勤務。観光以外に外貨を稼ぐ方法が無いのだそうです。
これと言った産業がないうえに、もしあったとしても輸出するための港はありません、海がないのですから。
What can we do?
教育の問題もなかなか厄介です。小学校1年から2年になる時に進率ががくんと落ちるそうです。家の関係もあるでしょう。中には3時間も歩いで学校に通う子もいるそうですから、親が送迎できないとか、なんだかんだとかかるお金を払うことができないなどです。
What can we do?
村では本当に仕事がありません。だから、若者は街に出て行きます。それでも仕事がありませんから、中東などに出稼ぎに行って絶対的な悪条件の中で仕事をし仕送りをすることになるのだそうです。村から働き手が出ていくというのは大きな問題です。でも、豊富な作物ができるわけではない、しかも仕事があるわけでもない村に残っていてもどうしようも無いというのもまた事実なのかもしれません。
What can we do?
明日は学校がやすみなのだそうです。でも、休みは嫌いだと言っていました。することがないんだからねと。
で、なんの休みかを聞いてみると、あるカーストのお祭りのためだということなのですが、そのカースト以外の人たちにとっても休み。カーストなんか100以上に別れているのにという話でした。昨日の識字教室のカースト問題もそうですが、なんだか頭を抱えてしまうのがこのカースト問題です。
この後、かなり低いカーストと言われる人達を目にすることになるのですが、なぜ低いのかという定義なんか全くあるはずもないよなという思いを強くしました。
What can we do?
というように、様々な事が大きく立ちはだかり、ネパールという国は難しいことになっているようです。
結局、随分遅くまで話し込みました。
途中、部屋においてあったiPadで子ども達が遊んでいましたが、言語設定にネパール語が無くてショックを受けていました。きっとAppleのPCだとあるはずなのですがね。
ということで、朝になります。
いつものように温かいミルクティーをご馳走になり、写真を撮影して別れました。
本当にお世話になりました。
突然の訪問にもかかわらず、あたたかく接してくださって感謝しています。
ご飯も数食いただきました。
ネパール最後の日に教えてもらったのですが、やはり米は貴重で、子ども達が「うちにはあとどの位の食料がある」と言うのを知っているのだそうです。そんな中から分けてもらったと言うことです。今度は米を担いで上がらなきゃいけないですね。
家を出て今度は手芸教室に行くことになりました。隣の村です。
あ、他の人が泊まった家。
頭の近くをネズミが走り回ったそうです。そんな経験は日本じゃできないので、それにも興味があったなと思います。

途中で見かけたのはやはりこれ。大切なんですね、水が。

竹の樋を経由してタンクに集めるようになっています。
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ネパールの村の識字教室


もう、道は真っ暗。暗い夜道を歩く歩く。
行きはよいのです、下りですから。
帰り空腹の状態でこれをあがるんだな〜と思っていたのは自分だけではないはずです。

識字教室に着きました。
早速授業がはじまりました。
自分はここで大きな認識違いをしていました。
もちろん屋内でやるのだと思っていましたが、なんと外なのです。
一名以外が女性。
きっと色々な事情があって学校に行かなかったということもあるのでしょうが実はもっともっと深刻な問題があることがわかりました。

生徒のみなさんは、順番に前に出て大きな声を出して指さし発表しています。
左側に子ども達がいて笑っています。
この子達は学校にいっているのでわかっているのでしょう。
大人がわからないのかよというのもあるかもしれませんが、この子達は先生に叱られていました。
「笑っちゃ駄目」ということです。これがまた正しいですね。
毎日もの凄くキツイ仕事をして、勉強する時間だってないのでしょうが、一生懸命やっているなと言うのが正直な感想です。偉い!

このお父さんは55歳。それでも字を読めるようになりたいという気持ちが強いのでしょう。
ここまでの写真はいずれもストロボをたいています。なのでうまく伝わらないものがあります。
それは暗さ。
電球が一個。そこに黒い黒板(これ正しいよね)。そしてチョーク。
学習環境としては超劣悪です。
それでも学びたいという欲求。

これだって明るく写っているのですが、もっともっと暗いです。
毎日、仕事が終わってからここに集合して学習しているのだそうです。
実はこの村の人たちのカーストはかなり低位。
で、言葉は独特なものを使っているのだそうです。
ですから公用語をまた別に学習するという感じのようです。
そして、この人達の感想としてあげられていた言葉がまた胸を打ちます。
「字が読めるようになって、光が差したような気がした」というのです。
そうですよね。言葉というのは読みと書きがセットできっと成立するのです。
それをこういう形であっても実現しているというのに感動しました。
日本での識字率は猛烈に高いでしょうが、世界にはまだまだ低い国がありそうです。
それにしてもこのカーストというヤツには本当に憤りを感じることが多かったです。
ここの人たちの希望をきいてみると、「識字教室をもっと続けられるような支援」「トイレがないんだ、何とかして欲しい」と一人の女性が随分勢いをつけて話してくれましたが、最後には「いや、思っていることをいっているだけなんです」と。だから、自分たちでやらなきゃ駄目なことは十分認識しています・・・それでも、もし支援をしていただけるんであればという意味です。
十分思慮深いし節度も持っているのです。
今回の旅行で最も印象に残ることになったのがこの識字教室です。
これをずっと続けている半田さんにも感動しました。
日本に帰って自分は何をできるんだろうと考えたりもしていましたが、帰ってきてしまうとまた何の変化もない生活をしている自分がいるのですが・・・。
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今日はここまで、村には一時間ほどで戻れたような気がします。
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学校から識字教室へ

学校見学も終了しました。
丁度学校の横からの様子がわかりそうな写真がありましたので載せておきます。

教室が一列に並んでいるだけですから、窓が両サイドにあるわけです。
教室の前同士が向かい合っているイメージ。それがいくつか並んでいるわけです。
右側ががけのように見えますが、その下には小学校低学年棟があるのです。

この学校の先生達と若干時間を取って話し合いをしましたが、その大半が自己紹介だったような気がします。もったいないなと思いました。
オーストラリアの時には、昼食をとりながらかなりつっこんだ話をできていたので残念です。
女性が随分少ないなと思いました。この国の状況を表しているような気もします。
でも、働き手になる男は中東の国々などに出稼ぎだといってたんですがね・・・
正面にみえるのが職員室です。

日本から持ってきたボールペンの贈呈式。持ってきたのは300本。ところがここの学校の全校生徒は900人だそうです。
なんだか逆に悪いことしたかなと思っています。

ここが昼食やティータイムなどでお世話になった店。
この女性も随分気がきく方で、いろいろとお手伝いをしてくれました。
一番助かったのは、あまい実験計画によって1Lのビーカーに入った水酸化ナトリウム水溶液を脚にかぶったときです。いろいろと手伝ってくれました。
女性の先生の絹製のサリーにもかかったのですが、何ともなきゃ良いですが。
この店ではノートも購入してきました。
さあ、つぎは識字教室に向けてスタートです。
途中の道はこんな感じ。これを真っ暗になってから歩くと思うとちょっと心配になります。

薄暗いのですが、シャッター速度を遅くして

こんな畑の様子を撮影しておきました。
そうそう、途中には日本の支援によって建てられたという学校の寮がありました。

これ、きっかけは日本の援助なのですが、結局村の人たちの力によって建てられたのだそうです。
そういう動きをしなければいけないという話でした。
ポンとお金を出して支援したということにはならないのです。
地元の人ができることを精一杯やる、そのきっかけを作るのが正しい支援ですね。
寮には誰もいませんでした。丁度修学旅行にいっているのだそうです。
寮の前にはこんな風景が。

チョウタラといいます。
このあと写真でも紹介しますが、ネパールの人たちは険しい山道を重い荷物を持って歩きます。
一度おろしてしまったらもう二度と持てないようなもの。
それをおろすことなく休憩できるように、ある一定の区間毎にこれがあるのです。
荷物を担いだままであっても、無理なく休めるように、台があるのです。
この木は菩提樹。
何とも綺麗な景色ですが、荷物を持っていないからそんな暢気なことが言えるわけですがね。
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2011年1月10日月曜日

ネパールの学校の様子

ネパールの学校は、長屋風で両側から光が入るような設計になっています。
廊下がないのです。
1〜5年生が小学校。

小学校1年生の教室です。
座っています。
日本の小学校低学年で「机に向かえない」というのがあるようです。
これで良いのかもしれませんね。
掲示物も工夫されていて素晴らしいなと思いました。

3年生。机が出てきます。
でも座卓。机と椅子と身体の大きさが合わないような事はこれで解決でしょうね。
6〜8年生になると中学生。


これを見るとわかるように、何となく年齢差があるように見えます。
何らかの都合で学校に行けなかったような人たちは、そこからやり直しができたりするようで年齢が離れていることもあるのです。
面白いなと思ったのは、小学校高学年からは座席が男女で分かれているのです。
自由な座席だそうですから、住み分けるようになるのですね。
面白いです。
電気がないとか、窓も怪しいなど環境が劣悪であると言えそうです。
ところが大きな違いがあるのです、日本の学校と。
それは、子ども達の目の輝きです。
とにかくキラキラ。
学ぶのが楽しいのでしょうね。
低学年から英語を勉強しているので、本当に英語がよく通じます。
通じるというか英語で話しかけてきます。
日本の英語教育は真剣に考えなければいけない時期に来ているなと思います。
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キッティンジャー大尉、人間の最高落下速度を記録(1960年8月16日)

米空軍のジョゼフ・キッティンジャー大尉が気球による最高高度31300mからパラシュート降下し、乗物によらない人間の最高速度988km/hを記録。 アメリカ空軍のパイロット、ジョゼフ・キッティンジャー大尉はガス気球を利用して単独大西洋温暖飛行に成功するなど、様々な功績を持っている。...