小学校の時、家の向かいになんだかよくわからない池のようなものがあった。今考えてもさっぱりあの池の意味はわからない。
でも、いろいろな植物があって、水生昆虫もたくさんいた。適当に手を突っ込んで、いろいろなものを撮っていたが、多分脱皮したてのヤゴで、デカくて白っぽくてびっくりして逃がしたのを今も覚えている(という時点でおかしいけれど)。
そこからとって来たでかいゲンゴロウをずっと飼っていて、いつかアマガエルをゲットした時、ちょっとだけ水槽を準備する間にゲンゴロウの水槽に入れておいて、準備が終わってみたら衝撃の状況になっていたのも戦目に覚えている(という時点でやはりおかしい)。
きっとこういうのが自分の中での原体験になっている。
そこには、小学校六年生までの期間いたのだが、その後大人になってから訪れたら、跡形も無くなっていた池。あったと思われる場所もどう考えてもめちゃくちゃ狭い。これが小学校時代の距離感というか世界観なんだな。
まあ、でも、そこにいろいろあったのは事実。フェンスも何もなく、落っこちても確実に自己責任で、ビオトープとか言ってる場合じゃないレベルの多様な生物の世界。
なんだか、今の子供たちの原体験って何になるのか心配になってくる。ひょっとしたらiPhone5が原体験であの頃の画面狭かったよなだったら嫌になる。
さて、なんとなくそんな気がしないわけでもないのだが、どうもこのガマの穂あたりは結構近い将来「何あのフランクフルト」になりそうな気配。
秋にこれをとって来て、そのまま放置してひどい目にあったりする経験は大切な気がする。
でも、なかなか見る機会がなくなっているのは事実。どうしたもんか。
ハスなんか、レンコンとして食べていることも多いでしょうが、その葉を見たり、葉柄を見たり、水を垂らして見たりという面白さがあるんですが、そんなのもなかなかダメですよね。できる環境も少ないでしょうし、だいたい落ちるから危ないとか言って接近させてもらえなさそう。
自分はやはり、育てて見るというのが大変重要な経験になるんじゃないかと思っているのです。