三内丸山遺跡に、6本の支柱あとが見つかって、それを復元してあります。
もちろん、柱のサイズや素材等しかわかりませんから、その上の部分の記録があるわけではありません。
想像なのでしょう。
今はこんな感じで復元されています。
ロシア産の大きな栗の木でできています。
ちょっと写真が曲がっているのですが、遙か向こうの山を入れてとってみるとこんな感じです。八甲田かな?
この横のステージ状のものは本当にあったんだろうか?
ただの6本の柱が並んでいたらどうでしょうか?
天に向かって長い柱が伸びているのはどうでしょうか?
ここに来ると、いつもこういうことを考えてしまいます。
それにしても、青森市は立派ですね。この施設を無料開放しています。
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