残念ながら、寺の住職の話を聞かなければいけない事態になりました。いつもつまらんなぁと思って聞いているのですが、今回のは特別つまらなかったなぁという印象です。
結局、「人間はどうしても自分中心に考えて生きてしまいがち。今回の死をきっかけに、そんな生き方を少しでも考えることができたら良いのではないでしょうか」×5でした。
お経はウトウトモードですが、どんな話するのかなぁと思って聞いていたのですがまさかの、5回も同じ話されると、このトークで何十万も持ってくなんてまさに「自分中心に考えがち」じゃねーかよって思いました。
さらに、今後の日程の調整は、なんと言っても明日が彼岸の入りで忙しいので、午後2時を過ぎるかも知れないですって言うのもそれまた随分自分中心ね!
自分も自分中心に進めたい系ですから、なんとかさっさと終わらせてくれないでしょうかね?
コロナの関係でお参りに上がる回数が減って色々大変ですっていう話をされても「お参り回数」が営業回数にしか聞こえませんし、それまた自分中心だなぁと思ってしまうんですよね。
ま、「こんな時にそんなこといわない」という日本人らしい文化がそうさせているような気がするのですが、何だかなぁとしか思いませんでした。
去年も同じ会場で同じように通夜と告別式をしたのですが、何が凄いって、スマホもMacもwifiのパスワードを覚えていたことで、wifiなんてあったかなっていう周囲の人間も一様「機械って凄いよな」ってなったわけでした。
今日は職場には行きませんが、明日からは「飽きられないトークのあり方」をより極められるように、同じ話を何度も繰り返さないように気をつけて生きていかなきゃダナと気づかされたから、坊さんの話はそういう意味を込めたってことで理解すれば良い系ですかね?流石ってことですかね?
あ、そうそう、頭部にしても俺の方がずっと坊さんらしいぞとも思いましたけどねw。なんだそのスポーツ刈りってかんじですwww
インドのバラナシの火葬場のあのなんだか混沌とした感じと違ってなんだかなんとも商業的な日本のあり方はどうなんでしょうね?